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死に数学は効かない

あらゆることを。

補色

彼女は鋭い視線に静かすぎる意志を宿していた。
「あなたの寂寞を少しでも和らげさせることができるのは、私ではないわ。」
静かにグラスを撫でる指先は、何も捉えることのできないそれだった。
「どうしてそう断言できるんだい?」
彼もまた、小さいがよく通る声で尋ねた。
「人は皆、補色となる相手を見つけるの。そうして見つかったコントラストに縋り付いて、相手を誤解しながらお互いの持ち合わせたモノだけで二人だけの城を作るのよ。二人だけの、ね。」
彼女は一口ウイスキーを飲む。
「私たちはあまりにも色が似過ぎていて、そして同色ではないの。」
彼女は笑みを浮かべていた。
彼はその笑みの意味を誰よりも理解できていた。
「色が似ていたって、同色じゃなくたって、補色じゃなくたって、同じ色相環の中にさえ居るのなら、僕たちは世界を敵に回せるじゃないか。」
彼の目は彼女を捉えているつもりではあった。
あくまで『つもり』でしかなかった。
「私たちは、私達でなければ、そして同じ世界に居なければ、きっとうまくやれたわ。」
彼女は声を出して笑った。自然な笑顔だった。
「愛し合うことは不可能なのよ。」
その断言はあまりにも酷で、彼は打ちひしがれるしかなかった。
「僕等には権利すらなかった、ということかな。」
彼も彼女も、もはやお互いを捉えることはできなかった。
「そうとも言えるし、そうとは言えないわ。ただ、私たちはそれについての解を、見つけられないのよ。一生懸けても、ね。」
彼も彼女も、諦めを知りすぎていて、なおかつ諦めることができない質だった。
彼らはそれを嫌というほど憶えていた。
「解り合うフリでは、一緒に居られないのかな。」
たった一瞬の視線。
たった一瞬の目のきらめき。
たった一瞬の唇の動き。
たった一瞬の、愛。
「解り合うフリができるのならば、私たちはさよならを言えるわ。」
諦めない、諦められない、諦めきれない二人の慟哭。
「敢えてこう言うよ。……また会おう。」
彼はそっと席を立ち、空間を揺らして出て行った。
振り返ることはなかった。
彼女はいつまでも、ドアを見つめ続けていた。